9《美作編》

<序・鬼復活>

 

 

(まただ)

武藤五郎右衛門は、起き抜けに例の気配を感じて、冷や汗をかいた。

朝靄に包まれた金山城下で賭博場を兼ねる武藤の掘っ立て小屋には、彼しかいない。美作国への領地替えで、準備としてかなりの武士たちが京の森屋敷に移動している。足軽も、自分から手を上げて京に行った。真面目な足軽は出世の足がかりとして、不真面目な足軽はより賑やかな賭場を求めて。

五郎右衛門だけが未だに金山城下に残っている。

誰にも打ち明けていないが、毎朝の日課のように例の気配が現れたのは、松代城から金山城に戻ったあたりからだ。

足先から気配がのぼってくる。ゴザに寝たまま足を曲げたり伸ばしたりしたが、無駄だった。来た。

「いててて」

五郎右衛門は、足を抱えてのたうちまわった。

近頃、毎朝、足が痙る。

最初に痙ったのは、冬の寒さが残っていた時期だった。暖かくなってくれば痙ることもなくなるだろう。微かに期待していたのだが、春になっても止むどころか、四日に一度が、三日に一度、二日に一度と、より頻繁になり、ほとんど毎日になった。小屋で一緒にゴロ寝をしている博打仲間に隠すのに苦労した。彼らを美作国に送り出した後、ようやく足をかかえて転がれるようになった。

「ちきしょう、ちきしょう」

武藤五郎右衛門がゴロゴロ転がっている。その頭上から、

「武藤、武藤」

たおやかな声がした。

「へ?」

寝っ転がったまま顔だけ上げると、弥勒菩薩が小屋の入り口に立っている。

「あ~、俺にもお迎えがきたのか。まさか弥勒様本人が来るとは思ってもみなかったぜ。――けど、まだ博打やりてえなあ。極楽でも賭場開けるのかな」

「何をいっているのです。武藤。そんな状態なのを、なぜ言わなかったのです」

尼姿の竹を、うっかり弥勒菩薩と間違えたのである。

(言えるわけないだろ)

「た、竹様はなんでこんなとこ、来たんです?なんか御用で?」

ズリズリと這いながら、入り口に近づいた。

「おお、そうでした。頼みがあるのですよ。御城下に残っている古株は武藤ぐらいですからね。しかしその様子では無理のようですね」

「へ?へえええ。竹様の頼みでしたら、どうなっても引き受けますや。どんな御用で?」

「五郎右!」

小屋を圧する叫びに、武藤五郎右衛門はピョ――ン!と後ろに飛び上がり、反射的に平伏した。

「う、梅様!?」

小屋の外に、なぜか牛車に乗った梅がいた。

ヒュッ!

無意識に武藤五郎右衛門の喉笛が鳴った。

「な、なぜここに!?!?!?!?」

「わたしがここに来ておかしいか!」

「め、めっそうもねえ」

「よし。では御せ」

「あなた様が牛車とは、珍しい」

「わたしだとて大阪を出発した時は、馬に乗っておった。それを忠政めが妙に気を遣いおって、金山城下に牛車を寄こして」

「そりゃ、あんたを見られるのがイヤだったからだろ」

「何をブツブツほざいておる」

「……いえ、別に」

「まったく。森家の男ときたら、上も下もはっきりしないの」

梅に関してだけは、忠政に同情する。

「おまけに姉上が、疲れているだろうとか、久しぶりに一緒に乗ろうとか――」

「梅。そろそろ城に行きませぬと」

「は。そうでありましたな。というわけで五郎右。御者をせい」

「なんですと――――!?」

 

 

 

 

 

<一・喧嘩、来いやあ!>

 

 

忠政は京阪で浪人たちの新規召抱えを大がかりに行った。

 

 

 

 

 

<二・家族集結>

 

 

嵐は静かに忍び入る。

 

 

 

 

 

<三・大坂冬の陣>

 

 

慶長十六年、徳川家康は68歳である。豊臣秀頼は17歳である。

 

 

 

 

 

<四・大阪夏の陣>

 

 

四月五日。

 

 

 

 

 

<五・後始末>

 

 

大阪夏の陣終了直後の元和元(一六一五)年、忠広が十二歳で従五位下に叙された。礼として、将軍に拝し奉った。形式上のこととはいえ、忠政の安堵と喜びは大きかった。

 

 

 

 

<続>

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