<序・花々>
桜雲が十重二十重と群れている。
時たま微風が吹き、花びらが散る。
歓声をあげて喜ぶのは、これまた鮮やかな衣装の女たちである。
慶長三(一五九八)年三月十五日。
選びぬかれた美女たちは輿に乗り、醍醐の花見の最中である。桜花見の絶好のポイントでは輿が止まるので、遅々として進まないが、むしろそれも良し。
桜と美女を従えて、秀吉は御満悦である。
ゆるゆると歩き、見上げては桜に興じ、見下ろしては美女に興じる。
「男の華ではないか」
木下勝俊が、義弟の森忠政にささやいた。
『美女だけつれていく』
秀吉の方針により女性ばかりがお伴をしているが、影では設営、食事の手配などなど、緻密に男どもが動いている。木下勝俊は、秀吉の正妻寧々の世話役としてついてきている。
忠政はなんの役目かといえば――
「進まないわね」
座りながら興味なさげに扇子をあおいでいるのは、姉の梅。木下勝俊の妻でもある彼女は、正妻寧々の御実家衆として、秀吉たちとは少しばかり離れた、しかし醍醐全体を見渡せる良い位置に幕を張っていた。
「本日は桜の花見でござる。御心お平らにご鑑賞されればいかが?」
文句たれる梅に、警護役という名目の荷物持ちの忠政はさすがに呆れた。
「桜はいいのよ。美しいわ。美しくないのはあちら」
梅が扇子で指したのは、秀吉の周りに集まっている妻妾たちである。
「……姉上がお気になさることもございますまい」
「お千は知らぬであろうが、城の中で綾錦の着物を手に女衆は戦であったぞ」
「ははあ……」
武勲はないが本物の合戦を経験している忠政にとっては、(どこが?)と心から疑問だ。
「錦の着物を手にする戦などござらぬ」
「ところが、あるのよね―。ほら」
無遠慮にもアゴで指した先では、秀吉から杯に酒をついでもらおうと妻妾たちが並んでいる。
一番に受けたのは、正妻、寧々。
秀吉と寧々は微笑みあっている。――まあ、これはいい。誰も文句はいわぬ。
二番は淀の方。
唯一の息子、秀頼を産んだ「ご生母様」。淀は、最初に杯を受けなかった悔しさと、側室では一番に受け、さも当然という平然さと、他の側室たちを圧する寵愛を誇り、そして母の家臣だった男の側室になった微妙な悔しさを周囲にわかるように気配を発しつつ、能面のような表情で酒を飲み干した。
三番は、
――モメた。
秀吉の手許がにわかに騒がしくなり、列は止まり、梅が文句を言い始めたわけである。自主的に見にいった忠政が、報告した。
「京極殿と松の丸殿が、どちらが先に杯を受けるかで揉めておりまする」
「は?バッカじゃない?」
梅は飛びはね、風を置き去りにして陣を出た。
<一・名古屋山三郎>
屋敷に帰ると、侍女たちが障子や柱の陰にたむろし、ソワソワと浮き足だっている。
<二・前夜>
冬になると京の事態が、急激に悪化した。
<三・真田領侵入>
毬子の町は、にぎやかだった。
<四・関ヶ原をのぞむ>
慶長五年七月
<五・美作国>
忠政の上田合戦でのヘマを身を以て知る家臣たちは、徳川家康からの沙汰をハラハラしながら待っていたが、美作国への領地替えを命じられホッとすると同時に、一気に歓迎ムードとなった。
<続>