<序・奈落へ>
望みは叶えられなかった。
初陣を勝利で飾った可隆は、「父上、どうにか勝ちましたなあ」と、例によってのんびり笑っているはずだった。自分は「若造が」と、可隆の肩を思いっきり揺さぶっているはずだった。
だが、それは永久にかなわない夢となった。
日毎、生気が欠け剥がれ、奈落へと落ちる我が心をなんとしよう。
<一・城外の残影>
織田信長は負けた。
緒戦の天筒山戦は勝利した。翌日には、朝倉の守将は降伏してきたのだ。
が、その頃には妹婿の浅井長政は信長を裏切り、朝倉方に味方していた。これにより信長は、背後を取られた。そのため金ヶ崎からすっ飛んで逃げ、三十日には京都に戻っていた。
「許すまじ」
雪辱に燃える信長は、六月、再度朝倉を攻めることに決めた。妹・お市の嫁ぎ先であろうとも、浅井も共に殲滅することにした。
信長の盟友・徳川家康も、協力を約束していた。
六月二十一日、織田軍の本営が虎御前山に設置された。騎馬が山肌を埋め、個性豊かな旗指物が風にたなびく中、森家鶴紋も高々と掲げられていた。
「勝家殿、可成殿」
草むらに所狭しと居座る武士をかきわけて来たのは、若い僚友、前田利家だ。
「おう」
図面を手に、雑兵の間を縫うように歩いていた柴田勝家と可成は、破顔した。
尾張の士豪前田利春の四男として生まれた利家は、この年三十一。前年、家督を継いだばかり。この度は、信長の母呂衆として参陣していた。かつて柴田勝家に与力としてついて以来、彼を兄事しており、勝家の僚友、可成とも親しかった。
三人は連れ立って、陽が射す道を歩き出した。利家が、ふと可成を祝った。
「娘御の婚約が相なったそうで。めでとうござる」
これが言いたいがために、信長の本陣から出向いてきたと見える。
「え?いや」
猛将も、戦場を離れれば、ただの父親。ごつい目尻が、下がった。
「可成、寂しゅうはないのか」
勝家が、珍しく軽口をたたいた。可成と共に、数多の戦塵を潜り抜けてきたこの男は、結婚などあまり興味がないらしく、織田家要職でありながら正室もいない。なにかこだわりでもあるのだろうか?自然、可成も勝家と雑談するときは、家族の話題を避けていた。
今日は、別だ。
<二・空風(からかぜ)ゆく>
姉川戦の後も、織田軍の戦は続いた。
浅井長政の居城、小谷城の押さえとして、横山城に木下藤吉郎を配置。
七月一日、姉川戦を生き残った磯野丹波守員昌がたてこもる佐和山城の周囲に砦を造り、東に丹羽長秀、西に河尻秀隆、南に水野信之、北に市橋長利が入る。
この後、信長は
七月六日 上洛
七月八日 岐阜帰城
ようやく、一時、休んだ。
可成は、宇佐山城守を命ぜられ、柴田勝家は近江長光寺城に在番となった。
勝家は長光寺城に行く途中、宇佐山城に寄った。
「こちらでござる」
馴染みの各務元昌に案内されて小書院に入った勝家は、
(骸骨!?)
野ざらしのしゃれこうべが脇息に寄りかかっているのに、のけぞった。気を強くもって見返せば、普段どうりの可成が、愛用の鶴紋が入った陣羽織を着て、座っているだけだ。
(しかし、これは生身の可成か?)
可成の闇に窪んだ眼窩、こけた頬、なによりも干乾びた精神が、死体を連想させたのだった。原因は明らかだ。
長男討死――。
立ち直ってもらいたいのはやまやまだが、息子などもったことのない自分の励ましなど可成の心に響くのか。しょせん上っ面を撫でるだけだ。
いやいや、無駄と思える鼓舞でも、しないよりマシかもしれぬ。油断ならない時節は、過ぎていない。ここらで渇をいれたほうが、可成のためではないか。逡巡した末、ようやく出てきたのはごく一般的な世間話だけである。織田家の内部事情、浅井・朝倉の近況、好きな武術など……。互いに知り尽くした内容で他愛なく一刻ほど過ごす。
「ご家老」
宇佐山城の門番頭が、走りこみ、小書院の廊下で平伏した。各務兵庫は
「柴田様がいらっしゃる。静かにせんか」
「おそれいります。実は虎口で悶着がおきまして」
「己らでなんとかせぬか」
「なんのための門番だ」
細野左近と各務兵庫が口々に言い立てると、門番頭はいっそう頭を低くして
「申しわけござらぬ。したが、なかなか偉そうな坊主が通せと喚きたてておりまして、我らの手には負えませぬ」
「わしは帰る」
潮時と、勝家が腰をあげた。
「門までお送りいたす」
勝家に対して頭を低くして詫びた各務兵庫に、柴田勝家は、
「よせ。童ではない」
「どのみち門まで行かなばなりませぬ」
「ふむ。では頼もうか」
部屋を出る際、勝家はふと振り返った。何か言い足りない気がしたのだ。万言を語り励ましたかったが、でてきたのは、たった一言。
「達者でな」
こういうときほど、己の不調法が憎い。
<三・坂本攻防>
浅井・朝倉攻めが意外に手こずる
織田家内の一致した見方だった。
元亀元年の春先から始まった攻略が、いまひとつ精彩に欠け、一気に殲滅できない。
姉川の戦いは織田の勝利に終わった。はずなのに、石山本願寺・延暦寺まで敗者の浅井・朝倉に結託した。
対織田勢力は膨張しつつあった。
ここで叩いておかねば、寺社を応援する勢力もでてくるはずだ。今まで問題にしなかった地侍まで、織田に敵対するだろう。
わずかに徳川家康のみが信長を支持していたが、彼はあくまで同盟者であり、自立している大名でもあるので、アゴでこき使うことができても、織田方の城を命を盾に守れとは命令できない。自然、信長子飼いの武将が命を張ることになる。
反織田勢力の連携はたいへん緊密であった。
織田軍は、防衛にあたる武将を信長直々に選ぶほどだ。
永原城 佐久間信盛
安土城 中川清秀
今浜城 羽柴秀吉
それぞれ守備していたが、ひしめきあう反勢力により、互いの連絡はまるでとれなかった。信長だけは、着々と、
九月三日、将軍足利義昭が摂津の典厩城に動座したのをきっかけに、
八日には野田・福島城(大阪)攻めのため、周囲に砦、城楼を造り、十数人の武将を配置。
九日には目ざわりな堀を埋める。
準備万端が整ったところで、
十二日、いっせいに攻撃を開始した。
轟沈を目指し、城楼の上から吹雪のように特大大砲が炎撃する。富士の噴火でも、これほどのマグマは流れまいと確信するほどの火球が、滝のように落下した。もはや火毛氈が、城を包んでいるようだ。
対する城方は、高名な根来、雑賀衆など二万人。これが各自鉄砲を携え、計三千挺が火を噴いた。
信長は、なんとしても野田・福島を落としたい。
ここを落とせば、石山本願寺を基盤とする一揆衆を一掃できるのだ。
戦果をあげられない大砲に業を煮やした(この量の大砲をそろえるのに、どれだけ南蛮人、商人たちの機嫌をとったことか!)信長は、白兵戦に移行。十四日には大阪天満ケ森より、槍を入れた。
「殿がお呼びだ」
足軽組頭の一人、河村庄助が、道家兄弟を呼びに来た。
<四・宇佐山合戦>
朝倉方も、必死であった。
早急に、京、北陸、中部に通じる街道を押さえる宇佐山城を落としたい。
どの軍にも短所長所というものがあるもので、信長軍の短所は、個人の武勇が弱いことだ。対して長所は、進取の気性と神速にある。
朝倉にとって進取性などどうでもいいが(新しければ効果があるわけでもない)、警戒すべきは神速である。
ぐずぐずしていると、信長の援軍がくる。
それは、避けたい。
朝倉は本来、夜襲はしない家柄である。
槍刀でもって、太陽の照覧のもと、正々堂々と雌雄を決するのを最上とする。
が、今はそのような正論を唱えていられない。
「急げ、急げ!」
朝倉義景は、夜道を駆け上っていた。
「宇佐山城を落とすのじゃ!」
馬にムチをくれ、一心に走る。日頃、馬責めにつかっている山なので、道に迷うことはない。ついてくる足軽も、この近郷出身者ばかりなので、足元は確かだ。たちまち山門にたどりついた。
「破れ!」
「守れ!」
門をはさんで、朝倉は攻め、森は守る。
門の内側では、細野左近を触れ頭に、弓隊が矢をつがえている。
朝倉二万に対し、森二千。
圧倒的な大軍を前に、細野左近の端正な顔が、いっそう青白くなった。門を突破されれば、朝倉軍の馬蹄が細野を踏み潰す。細野左近は捨て駒同然であった。
山道の中途に各務兵庫が足軽隊を鶴翼の陣型に置いて待ち受け、本丸前には可成が床机に腰かけ、隣に大塚次右衛門、後ろに太刀を持った林長兵衛が立っている。
他の誰にも見えなかったが、可成を守るように、可隆が床机の前に立ちふさがっていた。
可成だけに見えていた。
烏帽子、直垂という少々古風ないでたちをした可隆の後姿を、可成は穏やかに見ていた。
ドンッ!
ひときわ大きな地鳴りが響くと同時に
ド――――ンッ!ド――――ンッ!ド――――ンッ!
野太い太鼓が轟いた。山門が破られ、細野が接敵したのだ。徴発された、日頃は神楽舞を生業とする芸人が、目をつりあげて腕ちぎらんばかりに必死に太鼓を叩いている。宇佐山におどろおどろしくこだまする太鼓の音が、
――プツッ!
いきなり途絶えた。
「前へ――!」
各務兵庫の指揮のもと、後詰め部隊がいっせいに駆け下りた。
途中、退却する細野隊とすれ違った。矢尽き、ボロ雑巾のように泥だらけになった細野左近は、二人の足軽に両肩を抱えられていた。半ば気を失っていた彼は、各務兵庫を視認するのが精一杯だったようだ。
細野を追ってきた朝倉勢と各務兵庫は、あっという間に衝突した。
「それ行け!やれ行け!」
「け――――!けっけっけ――――!」
野呂助左衛門と武藤五郎右衛門の絶叫があがる。狭い山道の戦いである。しかも朝倉の援軍は、すぐ近くに控えているのに、こちらへの援軍はくるアテがない。なりふりかまっていられないのだ。各務兵庫は刀が折れるほど朝倉を屠り、ついに持つ刀がなくなったので、手近の松に登り、鉄砲を撃ち放っていた。
<五・連綿>
金山城の広間に、具足も解いていない埃だらけの兵たちがたむろしていた。
戦が終わると褒美が与えられる。「一番乗りをした」「一番槍をつけた」「一番大将を討ち取った」との武闘系から、「破られた門を、すみやかに修理した」「遅滞なく武具を渡した」との細々とした日常系の褒章まであったから、侍大将から足軽、新兵までごったがえしているのが常であった。
槍にもたれている雑兵。あぐらをかいている足軽。
その合間を、森家の幼い三兄弟がトコトコ歩いていく。
先頭の蘭丸は右手で坊丸の手を握り、坊丸は左手で力丸の左手を引いている。
雑然とした雰囲気は以前の戦と同じだが、今日はただようムードが違う。
いつもなら戦が終わった後の解放感と、褒賞への期待にあふれた明るさで、皆が跳ねていた。だが今日は、皆がうっすらと陰りをおび、漠然とした不安をザワザワとまきちらしている。にぎやかしい担当の武藤五郎右衛門は、ムッツリしたまま賭博小屋に引きこもってしまったし、野呂助左衛門はさっさと自宅に帰ってしまった。
その間をぬい、蘭丸は広間の奥へと進んでいった。
広間の最奥、ふすまの前に、代家老を勤めることもある豊前采女、大熊新右衛門ら、蘭丸でも顔と名前が一致する侍がいた。ふすまの向こうは奥で、家族や家老級の重臣しか入れない。
豊前采女や大熊新右衛門らは、三兄弟に気づいていない。
三人が小さすぎて視界に入らないこともあるだろうが、なにより深刻な話しをしているのが原因だ。血泥にまみれた鎧もぬがず、声は低く、だが強い調子で一心に話している。蘭丸たちは知らないが、可成や道家兄弟の他に、尾藤源内ら主だった古参武士も討死しているのだ。これから、どうするのか。
蘭丸は豊前采女、大熊新右衛門らを見たまま、黙っていた。坊丸も物問いたげだが、黙っていた。力丸は目をクリクリさせた。そして聞いた。三兄弟が一番、知りたかったことを。
「ちちうえは?」
ピタリ
広間中の話し声と挙措動作が、すべて止まった。
坊丸が続けた。
「父上は、どちらにおられる?」
「お主らならば、知っておるだろう」
締めは、もちろん蘭丸だ。
ふだんなら、誰かがワッハッハと笑いながら教えてくれるのに、今日は違った。
誰も何も答えない。そのうち背後にいた軽輩たちは一人去り、二人去り、兄弟たちが振り返ったときは、広間から全員消えてしまった。
風通しが良くなった広間を不思議そうにながめた兄弟は、豊前と大熊に向き直った。二人の侍は、ギギギ~~ッと音がたつくらい、ぎごちなく兄弟を見た――が、何も言えない。そもそも何を言えというのだ。事実をか?
《続》