10《完結編》

<序・側室の子>

 

 

馬が出ていかない。

それだけで江戸森屋敷の者、全てが悟った。

香々美が静かに厩舎に行くと、重政は笑顔を向けてきた。

「母上」

彼女も悟った。

息子は昨日までの息子ではない。

毎朝馬で遠出をしていた重政が、厩にいるもののいっこうに乗馬する気配がない。「忠政様の御子息の中では、長可様に一番似ておられる」という家臣の評価がお世辞なのは重政本人もわかっていた。それでも嬉しいらしく、毎日執務の前に弓の稽古を忘れたことがない重政が、ぼんやりと佇んでいる。

―香々美は無言で厩の傍らの縁まで来ると、沈痛な表情で座った。

昨日までは「無関係な御方はお控えなされ」止める取り巻きがいた。今は誰もいない。

皆もいたたまれなくなったのであろう。

うららかな陽射しである。

「い―い天気だ。このまま眠りたくなる」

「……重政」

息子を正視できない。畳に視線を落とし、沈黙するしかない。

痛いほどの時間が過ぎた。

「……重政」

「なんです?」

「…………殿と忠広様が――」

重政は地面に座りこんだ。姿勢も崩し、左足など立て膝、半目で虚ろに弓場を見ている。

「存じております。今朝方、父上から伝えられました」

香々美は、いっそう視線を落とした。

「……忠広様が従五位下に任じられるそうですね……」

「まこと御家の誉れでござる」

若干、茶化すようだ。

香々美は身の置き所がない。

本日、二男十二歳の忠広は従五位下に任じられる。長男で二十一歳の重政は、無位無冠である。

内外に、次代当主は忠広だと宣言したことになる。

重政は当主の座からは外れたのだ。

「重政……この身が家臣の出でなくば……」

香々美は、家臣の山内之豊の娘である。豊臣秀長の養女、名古屋山三郎を兄にもつ、華やかな岩にたちうちできるわけがない。

それでも重政は、長男である。そして実力がモノをいう戦国の気風が濃厚に残っていた。

軽輩の出でも当主に就けるかもしれぬ。

馬に乗り、弓に励み、真面目に執務をこなしてきた。

今朝、父に

「本日、忠広が従五位下に任じられる」

伝えられるまでは。

 

 

 

 

 

<一・七夕>

 

 

寛永三年一月十四日。

 

 

 

 

 

 

<二・後継者おらず>

 

 

七夕の日。天の川の橋となるカササギに乗り、二度と帰ってこなかった。

 

 

 

 

 

<三・長く継ぐ>

 

 

兵助を「大樹のような存在感がない」と評したのは梅であった。

<四・お犬様の御屋敷>

 

「叔父御は一途だな」

 

 

 

 

 

<五・当主発狂>

 

 

帳場、小屋――人間が住むのは小屋であった――を引き払い、御犬屋敷を土岐相模守へ引き渡すと、長成と衆利はクタクタになった。

 

 

 

 

 

<終・三日月藩>

 

 

元禄十五年十二月十五日。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《作終》

 

 

 

 

 

 

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