<序・晴れた日>
たいていの人間がそうであるように、運命は、なにも準備をしていない時にヒョイッとやってくる。
木曽川流域の蓮台村の小領主の倅、三左衛門の生涯の転機となった日もそうだった。
カラリと晴れていた午後だった。まだ二十代の三左衛門は連台城の庭でただ一人、前を見据え、力いっぱい歯を食いしばり、三本槍を荒縄でくくって一まとめにした稽古用の槍で、一心不乱に日課の千本突きをしていた。この日課のおかげで、背は標準よりはやや低いながらも、太い骨には、たくましい筋肉がのっている。
そこに斉藤道三から使者がきた。
「道三様は、婿様の織田信長様と正徳寺での会見が終了いたし、お見送り中でござる。ついては蓮台城で別れの儀を、との思し召し。応か否か?」
「ははあ……」
断れるわけがない。
蓮台村(岐阜県羽島郡笠松町田代)は、美濃西部濃尾平野にある。
三左衛門一家の旧主でもあり、近辺の守護大名である土岐氏を滅ぼしたのは、斉藤道三本人である。当時は家族で途方にくれたものである。
速やかに次の主を決めなければならない。自ら傘下に入ったのと、戦で負けてなし崩しに傘下に入ったのでは、後の立場が百万歩違う。
その三左衛門を召し抱えようと熱心に誘ってきたのは、意外にも敵方であった斉藤一族である。敵から見ても三左衛門の働きは賞賛に値したのだ。三左衛門は、斉藤一族に陣借りして2~3回合戦に出た。そして迷った。斉藤家に片足突っ込みつつも、両足入れて、どっぷり浸かるのは逡巡した。
戦国の下克上の機運により主家を乗っ取った斉藤道三だが、トップに座ると先祖返りをしたように古式格式に耽溺した。気性に激しいところがある三左衛門には、今ひとつ物足りない。第一、古参の家臣団が隙なく囲っている斉藤一族のもとでは、新参者――しかも、かつての敵が忠勤に励んでも、出る芽なし。そう判断したのだ。
では、どこに行くか。
<一・正月>
数年が経った。
元亀元年(一五七〇)正月 東美濃可児郡金山 金山城
久しぶりに年始の席に、城主の森三左衛門可成(もりさんざえもんよしなり)がいた。
可成はこの正月、四十七歳。織田信長麾下となって二十年近くなる。口髭が目立ち、巌のように豪鎮な可成に対して、言葉に出さないが、信長の信任は厚い。
前々年の永禄十一年(一五六八)九月
信長は足利義昭を奉じ、悲願の上洛を果たすと、五人の奉行を京においた。柴田勝家、坂井政尚、蜂屋頼隆、佐久間信盛、そして森三左衛門可成である。
五奉行は、いずれも信長の信に応え職務に精励。足利義昭のために宿舎を造り、民心掌握のために下知を発し、山門僧徒の取り締まりを強化し、摂津・和泉及び法隆寺、石山本願寺、堺の商人蓮に矢銭を課した。それを不服とした堺の商人や高野山衆僧が三好長逸らを担ぎ上げる。
永禄十二年の正月 京都本国寺の足利義昭の襲撃。可成は京都宿舎から鎮圧に駆けつけた。
五奉行に年始の祝賀会などない。以降、休む間もなく、
四月 負担金の支払いを拒否した堺の商人に、連署で最後通牒を突きつける。
八月 北畠具教の治める伊勢に侵攻。
十月 北畠氏を降伏させ、信長が南北伊勢を統一する。信長はその足で京都に飛んで帰り、不仲であった将軍義昭と和議をした。
この後、可成はようやく森家の兵をまとめ、都小路の紅葉、楓、銀杏を背に自分の本拠地、金山を目指した。大地の黒と天の蒼が霜に白く染まった頃、久しぶりに金山城に帰ったのである。城を囲む深い森、山裾を流れる木曽川を見たのは、実に一年以上前だ。
大晦日は静かに過ぎ、正月を迎えた。
城は塵一つなく掃き清められ、庭の植木の一枝にまで神経が行き届いた手入れがされた。
大書院の神棚には、森家の繁栄と武運長久を願い、松と榊が供えられた。南天の朱色がアクセントとなって映える。可成の妻えいが手ずから生けたものだ。
花器は美濃焼きの水差し。素焼きの水差しに素っ気無く投げ入れられたような緑枝。飾りを一切排した陶器と枝物は、それだけに命を育む大地の大らかさと力強さ、その結実である松の王者ぶり、榊の神秘性を率直に訴えていた。
可成は大書院で家臣一同へ本年の武運を寿ぐと、奥にある小書院に移動した。こちらは、彼の家族がそろっている。
神棚の下、可成の席の左手に男子、右手に女子、末席にえいが座る。えいのお腹が少しふっくらとしているのは、妊娠中のためだ。
家族全員が揃ったところで神仏に祈る。
森家の慣例である。
各々、屠蘇をのせた膳を前に正座していた。
まずは次男勝蔵長可十二歳。名は、一五五八年の長可の誕生時に、信長と可成から一字ずつもらったものだ。
彼は阿修羅の化身だ。細身でありながら鋼のバネが内包された体で、戯れに指で突っつくと、ビシッ!と弾き返ってくる。槍の腕前は、すでに家中三指に入る。成長すれば、全国に名を轟かす武者になるだろう。家臣団から此の度の父の武勲を聞かされ、すっかり気分が高揚し、肩いからせて正座している。
続いて三男の蘭丸成利五歳。四男の坊丸長氏四歳。五男の力丸長隆三歳。
ようやく赤児期を脱出した若君たちは、膳の前で膝を崩さぬよう、各自奮闘しているところ。この三人はたいてい一緒で、蘭丸を先頭に坊丸力丸と手をつないで数珠繋がりとなってトコトコ歩く。行く先々で侍女らから「可愛い」と、絶賛の嵐である。末の力丸は、今日からおむつを外し、ほんの少しだがスリムになった自分が、ちょっと自慢だった。
長可の向かい側に長女の松十六歳、次女の竹十三歳、三女の梅八歳が行儀よく座り、そして末席に可成の妻、えいであった。可成の子供のうち、長男から梅までが蓮台城、蘭丸、坊丸、力丸が金山城で生まれている。
空席が一つあった。可成の左隣である。
「可隆は、どうした?」
可成の長男、伝兵衛(でんべえ)可隆(よしたか)十九歳の姿がない。
<二・小正月>
織田信長は、女に恋などしない。
彼が恋したのは『天下』である。
寵愛したのは、『天下』をとるために必要な『武』である。
信長の結婚はすべて、『天下』を得るための政略結婚である。
正室の濃御前は、信長が合戦で負け続きの斎藤道三の娘であり、娶ったことにより、後顧の憂いが断たれた。
側室の生駒は、馬や武器も商う士豪の生駒家宗の長女。お鍋は近江の豪族、高畑家の娘。頭首に近い縁戚で、モノにすれば各家の『武』もついてくるのが確実な立場の女とだけ、縁を結ぶ。これらの館に奉公に来ている近在の農家や商人の娘などに間違っても手をつけないあたり、けっこうな眼力である。
自然、信長側近たちの女関係も地味であった。
好色で有名な木下藤吉郎――後の豊臣秀吉も、信長生存中はひっそりしていた。
側室をもたなかった武将も多い。彼らの妻は、幸せだったことだろう。えいも、もちろんその一人だ。
金山城は山の中腹、深い森に建っているので、年間をとおして日照時間が極端に少ない。山からの風が吹き下りる冬は、尚更だ。水たまりに張った氷は、桜が咲くまで溶けることはない。ふもとの農民は、毎朝、くるぶしまで埋める霜柱をザクザク踏んで田畑まで行く。
「さ、松。行きますよ」
「はい、母上」
女正月と称される小正月(一月十五日)、えいは日課の読経を終えると、長女と従者数人をつれ、金山の裾にある貴舟神社におもむいた。信長に献上予定の天然氷の奉納式があるのだ。城主夫人として、祈祷をあげ、奉納を見届けなければならない。
「いってらっしゃいませ、母上、姉上」
玄関先で竹、梅が三つ指をついて見送った。
母と長姉が出かけると、竹が
「では梅、糸繰りをいたしましょう」
「いたしませぬ。その後のご予定は?」
「裁縫です」
戦国の世では、女子といえど和歌を詠み、刀自として家事をやり繰りせねばならぬ。麻や綿から糸を取り、糸繰り、はた織、布断ち、仕立てまで、森の姉妹は幼い頃からみっちり仕込まれている。
しかし梅は逆らった。
「薙刀のお稽古をいたします」
「今日はお師匠様が、いらっしゃらないのですよ」
武家の女性として、姉妹全員、薙刀を習っている。可成の留守中は、えいをはじめ、松、竹、梅は鉢巻を締め、薙刀を手放さない。稽古に一番熱心なのが梅だった。
「それでもします」
「一人では薙刀をふるってはならぬと、厳しゅう言われているでしょう」
「糸繰りなど、つまらない」
「でしたら母上のお供をして、神社に行けばよろしかった」
えいは、梅もさそったのだ。
断ったのは、梅自身である。祈祷などつまらない、と駄々をこねたのだ。えいは規定の刻限がせまっているので、重ねて誘うことはなかった。
「――竹姉上は、冬はヒマでいらっしゃるから。――鈴虫がいなくて」
梅は、いささか皮肉っぽい。
竹の趣味は、鈴虫を飼うことだった。春に木曽川の土手で卵を見つけ、自分で編んだ竹籠に入れ、水を噴き、埃をはらい、孵化させる。夏の夜、えいが城の庭を花で飾り、竹が鈴虫を放ち、松が歌を詠む。母娘のささやかな、そして楽しい宴である。
ちなみにこの宴での梅の役目は、
①花瓶を引っくり返さない
②鈴虫を踏まない
③歌を詠っているときに、すっとんきょうに叫ばない
つまり、じっと座っていることである。この宴のなにが楽しいのか、梅にはさっぱりわからない。
「そうですね。鈴虫がいない間に、お歌も糸繰りも励んでおきましょう」
竹は、妹の皮肉など、いちいち取り合わない。たおやかで物柔らかく、仕事の段取りを告げる。
「神社の祈祷も糸繰りも、退屈です!薙刀のお稽古をいたします!」
「わがままなこと」
宮中の上臈以上に竹は儚げだが、妹の勝手にはさせなかった。
腕組みをしてふて腐れた梅を、さあ、さあ、と優しく追い立て、ころんころんと鞠のように転がしていく。
北の間で書本片手に耳そばだてていた可隆が、のんびり笑った。
「竹も、ようやるなあ。なんだかんだ言っても、梅はまだかなわぬ」
金山城には書庫といえるものはない。代わりに北の間の壁に棚をしつらえ、書や文をまとめて置いている。
代々森家に伝わる四書五経はもちろんあるし、京で可隆が増やした書籍もあった。選書にあたっては、中国文化好きで、伴天連と交流がある織田信長の影響をかなり受けた。史記、漢書、後漢書、三国史、晋書といった歴史書。三国志、西遊記といった奇書――金瓶梅は京で読んだが、「弟たちには早いなあ」で、金山城には持ってこなかった――。李白、王維といった中国詩。イスパニア人と交流するのに必須な聖書。全て要約版なのは残念なところで、いずれは完全版を手に入れ、庭の一角を割いて、書庫をつくるのが可隆の夢であった。
蘭丸が可隆に、書の説明をねだっている。
五歳にしてすでに、祖父の教えにより、論語を丸暗誦できる。五経を諳んじるのも、すぐ可能だろう。習字の字も、なかなか様になってきている。
「坊丸ではないか。入れ」
蘭丸が、障子の陰から、じっと見ている坊丸に気づいた。声をかけられて、ようやく坊丸がにじり寄ってきた。端正で高僧のように控えめな性格が素直に面に表れている。袴に足を引っ掛けないよう、注意しつつ可隆らに近づくと、急に目を輝かせ、座り込んだ。畳に漢書が大きく開かれている。意味もわからないだろうに、坊丸は食いついて離れない。
「お主も、武より文かあ」
可成と長可は、書物にさっぱり興味は示さない。
「お坊。遊ばなくてよいのか?」
興味津々に頁をめくっている坊丸を、蘭丸が後ろから抱っこした。
「よい。桁並外れた血気盛んな奴は、ちゃんとおる。長可と、ほれ――」
きゃ――――!
鉄砲の弾丸のように、丸い物体が乱入してきた。
末っ子力丸が、一番槍を目指すかの勢いで部屋に走りこみ、中央でぐるぐるぐる~っとでんぐり返りをし――兄たちに、力丸はこれだけできますよ~、と、宣伝したかったと思われる――棚まで突っ込んだ。
濛々たる埃が舞い散る中、ぶ厚い書籍の下でのたうち回る力丸を、可隆は無言でつまみあげた。
にぱっ
満面笑顔になった力丸に、可隆は同じく笑顔を返し、廊下に置くと、パシッと障子を閉める。
「……大兄(おおにい)様(さま)、無駄です……」
脱力した蘭丸の言うとおり、力丸が遠慮なく嬉しそうに障子を開けて入ってきた。どころか――
「あっ!力!」
蘭丸の制止を振り切り、手近の物を持って、部屋の真ん中でぐるんぐるんと転がり出した。そもそも遊ぶ場所が少ないのだ。
「お、それはいかん」
のんきに笑っていた可隆だが、力丸が振り回している物に気づき慌てて取り上げた。
茶杓であった。
<三・春風と氷像>
永禄十二年から元亀元年の冬の間、森可成は謀略の網を張り巡らすのに、忙しかった。
綿毛のようにすっぽりと雪をかぶった金山山中で、朝も昼も薄暗い中、灯篭を脇に、家老らと談判に余念がない。似合わぬ密議に精を出す。
森家の家臣は全般的に若い。当主の可成ですら四十七歳であり、彼を補佐する家老たちも、最古参の大塚治右衛門が、四十九歳。義兄の林新右衛門が三十九歳。細野左近が三十四歳。各務兵庫が二十九歳。最年少の渡辺越中にいたっては二十七歳である。古武士然とした可成は、書斎で姿なき敵と闘うことは不得手だが、のんびり構えてもいられない。年少の家臣らの意見を広く募り、不得手は不得手なりに、率先して謀略に手を染めた。
この日の夕暮れ、人目を避けて金山に入城してきた二人組がいる。可成は奥書斎で、各務兵庫元昌、以下、細野左近、大塚治右衛門ら家老蓮中、更に豊前采女、河村庄助、尾藤源内ら古参重臣と同席し、彼らと密会した。渡辺越中は正月が終わると京にとんぼ返りし、森家が定宿にしている寺から、謀略の指示を出している。
炉も畳もない奥書斎だが、可成だけはワラの座布団に座っている。家老の一人、細野左近が、談判が始まる前に自宅から持ってきたものだ。
細野左近は、以前の戦で脚を負傷した。傷から毒素が入ったため治りが遅く、もとは端正だった顔も青黒く削げた。今でも、足を引きずって歩く。戦場から帰還するときは戸板で運ばれたくらいである。各務兵庫を始め重臣の屋敷は、防衛も兼ねて金山の麓に点在しているが、細野左近の屋敷のみが、金山城の城主館のすぐ後ろにある。「その足で山登りは不自由であろうから」と可成がとりなしたのだ。今でも傷は完治していない。季節の変わり目には、傷がうずく。金山付近で見慣れない医者がいたら、すなわち細野左近が招いた者だ。京にいる渡辺越中が、細野左近のためにわざわざ薬師を差し向けることもあった。この影響か、森家はわりと医薬関蓮は充実している。
この日密会したのは、微禄の家臣、道家清十郎・助十郎兄弟である。平伏する清十郎が二十一、助十郎が二十。頭から足まで白一色の山伏姿だ。野呂助左衛門から借りたという。面をあげた兄弟は、晴れやかに
「殿、御調停が成功いたしました」
「遠藤六郎左衛門慶隆様、殿のお取り成しにより、信長様配下になる由、御承知なさいました」
「承認状であります」
書状を捧げた。遠藤氏は、先代遠藤盛数が郡上郡を統一した。その際、斉藤氏の配下になり、可成ともこの縁で知り合った。盛数亡き後、家を継いだ慶隆は、斉藤氏滅亡後は、武田信玄を頼った。この遠藤氏を、可成は地の利から諄々に説き、織田軍の味方にさせることに成功したのだ。
道家兄弟が持ってきた書状には、郡上郡八幡城主遠藤六郎左衛門慶隆が、可成経由で信長からの年貢安堵状をもらい感謝していること、これにより織田軍配下に鞍替えする云々がつらつらと書かれ、最後に花印が押してあった。
「でかした」
可成は、満足気にうなづいた。
「おめでとうございます」「さすがは殿」
口々に寿ぐ家臣を笑顔で制し、
「こたびの第一の手柄は道家兄弟ぞ」
豪風吹きすさび、雪道、落石の危険がある山道を厭わず、数え切れぬほど行き来した兄弟をまず褒めた。
「いえ、我らなど」「家臣として当然の務めでござる」
謙遜する兄弟に褒美として絹反物を与え、
「さて」
兄弟が面をあげた時から、気になることを尋ねた。
「そのほうら、顔の傷はなんとした」
兄弟の顔は、赤青にでこぼこに腫れ上がっていた。崖から落ちたというのではない。服は破れ綻び一つない。濡れているだけだ。
兄弟の笑顔が、仏頂面に変わった。
「遠慮なく申せ」
もともと道家は、森家の譜代家臣であった。可成の曽祖父・森越後守小太郎可房が、将軍の命による赤田城夜討戦で、武運つたなく死んだ時、共に討死した道家新左衛門の子孫である。新左衛門死後、音沙汰がなかったが、数年前、織田軍勢が尾張守山に陣をはったおり、兄弟がひょっこり鶴紋を掲げる森の陣を訪ねてきた。一別以来、一家は尾張守山の川で漁をして糊口をしのいでいたが、武士を志したのだという。旧縁のよしみで森家に仕官したいのだと。
安全な漁師生活を捨てようとする息子たちを,老いた両親は必死で止めたが「三年たっても一人前にならなければ、あきらめる」と説き、振り切ってきたとも聞いた。それを知っているので、可成も手柄をたてさせるべくあちこちに蓮れまわしていた。
幸い、一昨年、武田方と織田と戦があった時、道家兄弟は奮戦し、首三つを獲る手柄をあげた。褒賞として信長から直々に『天下一勇者也』の真っ白な旗指物を拝領している。森家内の地位も一歩上がり、足軽頭となった。もう少しで、知行持ちだ。薔薇色の未来だ。
親と約束した期限は、今年の初夏。なんとしても、もう一つは大手柄をたてねば。
手柄を熱望する兄弟が、事を軽率に荒立てるとも考えられない。なにがあったのか。
「家中のいずれかの子弟かと思われます」
兄弟は遠藤氏から預かった書状を懐中に、雪山を踏破していた。町人が行き交う街道は、他国者にも目がつきやすいので避けたのだ。
漁師あがりなだけに、、兄弟とも上半身が発達している見事な逆三角形体型だ。水かきするように、雪をかきながら進む。頂を越え麓近くで、一人の若者が山中を歩いていくのを見た。濃紺一色の上下は質素ながら、折り目がピシリとつき、着崩れたところがない。矢立と巻紙を持っているところからも、かなりの家柄の子弟と思われる。
「長男だな」
可隆は雪の中でも、睡眠を削っても、せっせと城の地図を作成しているのを、可成は知っていた。だからといって、もちろん寝坊を許すことはない。
「可隆が何か?」
「いえ、まだ続きがあります」
「ここからが本題です」
雪まみれの可隆を、不思議に思いながらも、任務を優先して、声もかけず通り過ぎた。幾重にも垂れ下がる氷柱の影を曲がり――
「きえい!!!!」
突如、木陰から奇声をあげ、回転してきた巨大な物体に、兄弟は体を弾き飛ばされた。二つに分割して持っていた書状は、雪に落ちた。顔面蒼白になった兄弟は、すぐに書状を取り戻し、そして、まだ隣で上に下に揉みあっている物体を見た。物体は小童と猪だった。手負いの猪を仕留めようと、少年はなんと素手で格闘しているのだ。
「おう!」
ゴキュッ!
首の骨が砕ける音とともに、猪は泡を吹いた。少年は兄弟には一瞥もくれず、さっさと猪を担ぎ上げた。
「待て」
清十郎が、この無礼な少年の肩を鷲づかみにして、ぐいっ!と引き倒した。
「この無礼者!」
助十郎が後ろから少年の膝後ろを蹴った。
カクンと後ろのめりになり、少年は雪の中に倒れた。
――などということは、なかった。
少年は猪を背負ったまま身軽くバク転し、兄弟をギリリとにらんだ。
道家兄弟が物知りなら、飢えた獅子がエサに向かって突進する姿勢だと感づいたはずだ。
あいにく兄弟は物知りではなかった。
ただ、自分たちがホモサピエンスではない何か――羅刹、夜叉、死神、その他――凶々しさのあまり名をつけるのすら憚れる何か――を覚醒させたのは、本能で理解できた。
少年の形をした鬼が、跳ねた。吼えた。
「死ねや―!」
鬼は絶叫を上げ、兄弟の横っ面を、まとめて蹴飛ばした!
ひょおおおおおおおお――――んん……
綺麗な弧を描いて、兄弟は冬の大空へ飛んだ。下は崖だった。密使に選ばれるだけあって兄弟は無様に落ちるようなヘマはせず、クルクルクル~と宙空で回転し、ストーンと見事、雪の上に下りた。
「弟よ!」「兄者!」
「書状は?」「これに!」
互いの懐中の書簡の無事を確認し、安堵した――瞬間!
「げぼっ!」
降ってきた氷柱が、彼らの顔面を直撃した。
<四・宇佐山城建築>
元亀元(一五七〇)年 四月
上洛した信長は天下人同然であったが、まつろわぬ勢力も残っており、彼らを殲滅させることが急務であった。真っ先にその槍玉に上がるのは誰か?
信長が額に青筋たてるほど憎んでいる敵を、家中の武将は知っており、粛々と討伐準備を進めていた。
寒さも和らぎ、岐阜城の庭に鶯が姿を見せ始めた頃、織田軍は招集され、次の目的地に進軍した。
織田信長は、かねてからの懸念を払拭する。
越前の朝倉義景討伐の開始である。
越前の隣、長浜は妹婿の浅井長政がいる。浅井は朝倉と友好関係であった。浅井に妹を嫁がせ同盟を結ぶ際、『織田が朝倉を攻める時は、浅井に事前に蓮絡する』と約定していたため、朝倉攻めにあたり祐筆らが気をきかせ、浅井宛の蓮絡状を用意し、信長に提出したが、信長は一瞥もせず、後ろに放り捨てた。
浅井になど知らせる必要はない。
この時期、信長麾下の支城は
荒子城
山崎城
志賀城
蜂須賀城
比良城
黒田城
等があり、金山城も朝倉領に近い。
すでに可成に出陣の前触れがあった。
金山城に初梅が咲いた朝が、可隆の初陣の日になった。
「おめでとうございます」
大書院の床几に座る可隆に、まずは家族が、次いで庭先に控えている家臣が、まぶしげに挨拶する。一番、感極まっているのが長可で
「まこと、おめでたきこと」
彼にしては珍しく涙ぐみ、パンパン!と膝を叩いた。
「天晴れな武者ぶり。ご立派ですぞ。兄上らしゅうございます」
「お前な」可隆は苦笑いした。
「俺らしいとは、どういうことだ」
「そういうとこです!」
長可は、可隆の穏やかな兄である面しか見たことがない。のんびりした笑顔に包まれた、商人相手に微笑みながら商談を進める嫡男としての顔や、お香相手の男としての顔はついぞ知らなかった。
くく~~~~……
肩をふるわせ、長可は泣いた。可隆の晴れ装に感化されたらしい。
「大兄さま、御初陣おめでとうございます」
「「おめでとうございます」」
蘭丸、坊丸、力丸は、相変わらず団子のようにコロコロと勢揃いしている。まずは蘭丸が祝いを述べ、坊丸、力丸が唱和した。夕べ、三人で一生懸命に練習したのだ。
上手くできた。
ニコッ!
会心の仕上がりに、チビッ子三兄弟は(やった~~!)と、ピョンピョン飛び上がりたい。
「見事な挨拶だ」
うむうむと、大兄さまも満足していらっしゃる。
「練習したかいがありましたね」
松姉さまも、お優しい。
「皆、感心していますよ」
熱っぽい体をおして並んでいる竹姉さまだ。
「それぐらいできて当たり前よ。いちいち喜ぶのでは、ありません!第一、今日は可隆兄上のご初陣です。あなたたちが目立ってどうするの!」
「はい」「……はい」「はあい!」
梅の痛烈な叱咤に、(鬼ばばあ!)などと思わず、素直に反省する三人である。
「梅、大人しゅうしとれ!そなたこそ、出しゃばるな!」
反応したのは、梅以上の癇癪玉、長可だ。
「んまあ!長可兄上こそ、横から口出しなさらないで!
――武具を着けていらっしゃらないのですね。わたくし、今日は長可兄上も一緒に御出陣かと思っていましたわ!」
「お、俺だとて、出陣したかった……!なれど、父上にお願いしても『お主は留守をしておれ』と……!」
「つまり、置いてけぼりですわね」
「黙れえいえいえ!!!!!」
(だいじょうぶ……か?)
おっとりした表情はそのまま変えず、可隆は少々、不安になってきた。
自分が留守にしている間、問題ないのは嫁ぎ先が決まっている松ぐらいだ。後は――
体が弱い竹。
ところかまわず喧嘩を始める長可と梅。
まだ幼児の蘭丸、坊丸、力丸――。
可成、可隆が京にいる時、城をきっちり束ねていた母は、いま臨月。数ヶ月は、本調子ではないだろう。
(早々と手柄をたてて戻らねばなあ)
<五・天筒山合戦>
織田信長は四月二十一日は高島、二十二日は若州熊川と移動し、二十三日は国吉城に着陣した。
越前天筒山城攻撃のためである。
天筒山は現在の福井県敦賀市にある中規模の山である。金ヶ崎城からも山頂伝いに行き来することができた。いわば天筒山は
金ヶ崎城の支城である。ここを朝倉方の寺田采女正が千五百の兵を従え、守っていた。
信長は朝倉攻めの緒戦になる天筒山城攻略に慎重を期し、二日間にもわたって軍議を重ねた。
可成が策を練っている間、可隆は宇佐山城で黙々と陣を整え、荷駄の配備を指揮した。誰かが何かが欲しい、どれそれが必要だと、ひょいっと横を向くと、すでに必要な物が必要な所に在った。手際がスムーズすぎたので、可隆の存在など、かえって空気である。
「少しお休みになっては?」
つき従う家臣が進言するほどであった。
これは序の口の働きで、本番は、この後にきた。
信長が、各城主たちに招集をかけた。
これに従い、配下城主たちは信長が陣を張る天筒山麓に集合した。もちろん、可成も、この中にいた。
これは合戦の前触れだ。
宇佐山城に残る可隆は、まず南蛮人、大工らに築城を任せた。次いで、琵琶湖畔の村町に注文をした武器を受け取りに、細野左近を先行させた。最後に足軽雑兵たちをまとめて、城を出発しようかという段になったところで、
「若!」
細野左近が、血相変えて駈け込んで来た。
「職人たちが武器を渡すのを渋っておりまする……!」
可成が職人たちを急かしたおかげで、武器は完成している。賃金も支払済なので、問題はないはずだ。しかし、職人たちはのらりくらり言を左右に細野の追及をかわし、渡そうとはしない。浅井、六角の面々が、裏から手をまわしたこと、明白であった。
野呂助左衛門ら組頭に足軽たちをまとめさせて天筒山に向かわせると、可隆は家老たちと湖畔の村町に向かった。
鮮やかな朱色がかかっている夕焼けを背に、可隆たちは馬をいそがせた。各務兵庫が馬上でもの静かに、
「我が雲次に、血を吸わせましょうかの」
愛刀『雲次』の鞘を不気味になでた。
「ならぬぞ」
穏やかに笑みを浮かべる可隆に、各務は渋々ひっこんだが、坂本の町にある刀匠たちの工房に入ったとたん、目を吊り上げた。彼らは土間にゴザを敷き、車座になって酒盛りをしていたのだ。炉が冷え切っていたから、火を落としたのはかなり前のはず。
「なんじゃああ!お前ら!」
ビリビリと天井の梁が震え、埃が落ちた。
「あ、ああ~~」
刀匠が持つ欠け皿に埃が入った。
「なんてことを……縁起が悪いぜ」
「ふざけるなああ!」
胸倉つかんだ各務を、可隆が「まあまあ」と制した。
「縁起が悪い、とは?」
「お、あんたが若さんか。あんたの方が話がわかりそうだ。
まあ、聞いとくれよ。こいつが今日、祝言をあげてよお」
車座の真ん中にいた若者が、デヘッとにやけた。
「って訳でよ。今日は刀槍は渡せねえ。祝言の日に『切れる』はご法度よ」
「なるほど」
穏やかにうなずく可隆を、掴み上げそうな各務であった。更に、坂本の造り酒屋から樽酒を買って、刀匠たちに「わたしから
の祝いだ」と、差し入れした可隆に、髪を逆立ちさせた。次に訪れた槍匠も、その次の鎧師もなぜか祝言中で、可隆はその度に
酒を差し入れしたものだから、各務兵庫の頭の血管が切れそうになった。寝静まった坂本の町を駆けながら、舌打ちしつつ、
「若。奴らの言ってることなど嘘ですぞ。まさか信じているほど愚かなのでござるか!」
「これ」
大塚治右衛門が、控えめにたしなめた。可隆は各務兵庫に、
「まあ、そう、いきりたつな」
「たちますわい!」
「――そろそろ頃合いじゃの」
「?――なんの?」
可隆はグル~ッと坂本の町を大きく回り込むと、最初に寄った刀匠の小屋に戻ってきた。なぜか静かだった。戸板がわりのムシロを跳ね上げて一行が入ると、車座の蓮中は、全員グーグー寝こけていた。
「よし。酒が効いたな」
うむうむ。うなづく可隆に、細野左近がそっと
「酒に眠り薬でも仕込みましたか?」
聞いたが、可隆は首を横にふった。
「まさか。そのように手間暇はかけぬ。ただ――」
「ただ?」
「度が一番強い酒を差し入れしただけよ」
各務兵庫はまじまじと、可隆を見た。
「さ。今のうちに刀を持っていこう。物音をたててはならぬぞ。起こしては、気の毒だからなあ」
もちろん槍匠も鎧師もぐっすり寝ていたから、優しい森家は起こしたりはせず、現物だけ持ってきた。
<続>